自然農法家福岡正信氏が提唱する「自然農法」を学ぼう (^o^)

 


福岡正信 自然農法家 - YouTube

 

家庭菜園で自然農法的な栽培を指向している方は、この動画主人公の自然農法家福岡正信氏(故人/享年95歳)をご存じの方も多いのではないでしょうか。

また福岡氏をご存じない方や農業にあまり関心がない方も、日本にはこんな素晴らしい先人が居たのだという意味で、ぜひこの動画をご覧になって下さいませ。(^o^)

動画冒頭で福岡氏が「いかにしたら昼寝ができる時間が多いか。それが最大のモットー。」などと語っていますから、なんだ怠け好きじいさんの独り言か…。
な~んて感じながら見続けた方もいらっしゃるかもしれませんが、見ていくうちに生中な人物でない事がご理解いただけたと思います。

福岡正信氏は、この「いかにしたら昼寝ができる時間を増やせるか」を私たちに指南する為に、福岡正信氏が62歳の時、今から29年前になりますが昭和58年(1983年)から昭和60年にかけて出版した彼の全著作五冊合計1800余ページにおいて、その “昼寝の時間を増やすための処方箋” を書き記しています。

布団とか枕の形状、そして昼寝に最適な室内温度とか…。アッこの部分はウソウソ。(^^;)

 

『わら一本の革命』 (春秋社/福岡正信著) 昭和58年(1983年)
『自然に還る』 (春秋社/福岡正信著) 昭和59年(1984年)
『無Ⅰ 神の革命(宗教編)』(春秋社/福岡正信著) 昭和60年(1985年)
『無Ⅱ 無の哲学(哲学編)』(春秋社/福岡正信著) 昭和60年(1985年)
『無Ⅲ 自然農法(実践編)』(春秋社/福岡正信著) 昭和60年(1985年)

私はすでに27年前に全五冊を読破しているわけですが、福岡正信氏の最初の著書『わら一本の革命』に出会い感動しまして、以降は販売開始を指折り数え待ちながら、全著作の初版を読み進めたという経緯があります。
『わら一本の革命』は、昭和58年の出版と同時に購入していますが、まだ家庭菜園とは縁のない生活でしたから、そうした環境の中でなぜ『わら一本の革命』に出会えたのかは今となっては判然としません。(^^;)

(月刊誌『致知』に書評が掲載されていた…。という可能性が大です)

 

福岡正信氏の著書は、使われている言葉は平易なのですが、とても含意が深く、目まいがするぐらい難解ゆえ (^^;) 、当時本当に一生懸命精読したことは今でもしっかり憶えており、その精読が図らずも結婚して家庭菜園を始めた段階で、とても役立ったことは間違いありません。

私たちは社会におけるあらゆる事象を理解するのに、相対的に比較しなければ理解し得ない事を知っています。その意味でも家庭菜園をやられている方で、自然農法を指向しない方であっても、現代農法の対極に位置する、自然農法家福岡正信氏が語る「無為自然」を学ぶことは決して無意味なことではないと思えます。現代農法および自然農法双方の理解を深めることにより、私たちが取り組む現代農法のメリット・デメリットもより鮮明に把握できるのではないでしょうか。

 

自然農法家福岡正信氏が語る、

「自然が主役、何もしないのが最高の農法」
「人間が生産しているのではない、自然が作っている」
「草一本人間が作っているのではない、自然が作っている」

そして、
「やればやるほど、自然から離れていく」

このとても重要な箴言について、より深く知りたい方は、ぜひご紹介した彼の著書を読み進めてみて下さいませ。(^o^)

 

 

 

 

さて、ここからは家庭菜園とか自然農法とかの話題から外れてしまいますが、自然農法家福岡正信氏とアニメ作家宮崎駿監督は、意外にも精神的な深いところで共通の哲学をお持ちだという事をご紹介したいと思いましてブログに書き記しました。


2010年7月。スタジオジブリが発行している「熱風」という小冊子の7月号では、iPadが特集されていましたが、そのなかで宮崎駿監督のインタビュー記事がツイッターを通じてたちまち拡散し、社会的に大きな話題となりましたから、以下の記事をご存じの方も多いと思います。

インタビュアーが便利な道具だと手にしているiPadについて、感想を聞かれた宮崎駿監督は、「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」というスタンスであるとした上で、次のように語りました。 

「あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。嫌悪感ならあります。その内に電車の中でその妙な手つきで自慰行為のようにさすっている人間が増えるんでしょうね。電車の中がマンガを読む人間だらけだった時も、ケイタイだらけになった時も、ウンザリして来ました。」

 

続いてインタビュアーが、資料探しの道具として使いこなせば良いのでは?という質問の流れで、「時間をいただけるなら、文献を調べて取り寄せることもiPadで出来ます」というインタビュアーの言葉に対しては次のように語りました。 

「あなたの人権を無視するようですが、あなたには調べられません。なぜなら、安宅型軍船の雰囲気や、そこで汗まみれに櫓を押し続ける男達への感心も共感もあなたは無縁だからです。世界に対して、自分で出かけていって想像力を注ぎ込むことをしないで、上前だけをはねる道具としてiナントカを握りしめ、さすっているだけだからです。
一刻も早くiナントカを手に入れて、全能感を手に入れたがっている人は、おそらく沢山いるでしょう。あのね、六〇年代にラジカセ(でっかいものです)にとびついて、何処へ行くにも誇らしげにぶらさげている人達がいました。今は年金受給者になっているでしょうが、その人達とあなたは同じです。新製品にとびついて、手に入れると得意になるただの消費者にすぎません。あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。」

 


いかがでしょうか~~~。(^o^)
発売後すぐに流行り出したiPadに飛びつく人々に対し、ずいぶんと刺激的な発言をしていますよね。
宮崎駿監督が発したこの刺激的な言葉は、最初に書きましたようにツイッター等を通じてたちまち拡散し、監督の発言に賛同する意見と共に、「もうジブリ見るのやめるしかない」「これがSFアニメ作ってるやつのいう言葉かよ 」「使いこなせないジジイの妄言 」「セル画で映画作ってろよ老害」「ジジイは憎まれ口叩かないと振り向いてもらえないから大変だな 」などと過激な反対意見がネット上を飛び交いました。

宮崎駿監督は、確かにもう少し思慮深く言葉を選ばれたら良いのにと思いますし、また2011年10月に亡くなったスティーブ・ジョブズはディスニーの筆頭株主で、ディズニーは宮崎アニメの米国内配給会社である事を思えば、スポンサーサイドにも配慮を欠いた言葉である事は間違いありません。

ただ得てしてこうした忠言は、的を得ているほど反発が強くなりますから、その意味では宮崎駿監督の鋭い指摘に、当該者は痛いところを突かれたと地団駄踏んで悔しがったのでしょうか~。(笑)

 (※最終校正を宮崎駿監督自身が担当されたそうですから、過激な文言について “強調符として意図的に残した” 可能性もあり、そうした視点で読み進める必要もあります。)


 

それではここで私から見れば、宮崎駿監督が語る忠言とまったく同じ事柄を語っていると思える、自然農法家福岡正信氏が語る言葉 (使われている言葉はまるで違いますが) をご紹介しましょう。

出典は福岡正信氏の著書である『無Ⅱ 無の哲学(哲学編)』 (p.173) からのものです。 

「(人々は)人間の喜びは外界から与えられるものと考え、日常生活の衣食住、仕事、娯楽、スポーツ、読書、芸術を豊富に取り揃え充実することが、人間により大きな喜びをもたらすものであると確信しているのである。
事実は、多くのものを集め、人間を取り囲めば囲むほど、人間の真の歓びは雲の彼方に消え、光を失う結果となり、真の歓びの幻影である喜びが人間の世界を占領してしまうことになる。
一度玩具を与えられた子供は、さらに大きなより多くの玩具によってより大きな喜びが来るものと、親や子も考える。だが子供の周囲に玩具が山と積まれ、また絵本があらゆる楽器が取り揃えられたとき、その子供は真に大きな歓びと、幸福が与えられたと思うのは錯覚に過ぎない。雑多な喜び、雑多な知恵、雑多な音楽を身につけた人造の子供が育成されるのみである。
どんなに上手な選択、選別、教育的な玩具と理屈をつけてみても玩具はどこまでも玩具である。


外に、すべてのものを獲得したと思うとき、人間は内の、すべてを失っているのである。あらゆる喜び、楽しみが獲得できたと思うとき、内の心の火は消えて、人間は何を見ても楽しむことができず、何を聞いても歓びとならず、あるのは、ほろ苦い悲哀と、退屈な人生があるのみということを知らねばならないのである。」

 

(ご注意:「歓び」と「喜び」の二つの言葉が混在して使われていますが、転載ミスではありません。二つの言葉の持つ意味合いに十分注意して読んで下さいね。私見としましては、外から得られるのが「喜び」であり、一方で子供そして人間はすべからく本源的に内なる生命の躍動たる「歓び」が内在し、満ち満ちており、子供の頃からその歓びを育むようにすれば、外に多くの喜びを求めなくとも、内に湧く歓びを感じながら心豊かな人生を送ることができる。つまり  “青い鳥は内なる心の中に住んでますよ” と語っていると思えます。) 


読んでみていかがでしょうか~~~。(^o^)
アニメ作家宮崎駿監督と自然農法家福岡正信氏両氏が語る言葉は、用語はまるで違えど、煎じ詰めれば同じ意味合いの事柄を語っていると思えるのは私一人でしょうか~。(^o^)

 

文面が長いのでもう少しフォーカスして短くしてみましょうか。

アニメ作家宮崎駿監督は、

「あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。」

 

自然農法家福岡正信氏は、

「外に、すべてのものを獲得したと思うとき、人間は内の、すべてを失っているのである。」

 


お二方の言葉を私流に合成すれば 「外に全能感を手に入れようとするとき、人は内なる自己を喪失していく」 というような意味合いになるのでしょうか~~~。(^^;)

この最後の部分はあくまで私の見解ですが、いずれにしましてもiPadやスマートフォン、そして電子書籍などなどテクノロジーの進化は止むことを知らず、現代社会は正にIT革命のただ中にありますから、こうしたIT関連機器との接触、利用を避けて通るわけにはまいりません。魅力的な新製品登場と情報洪水のなかで、益々シコシコと “自慰行為” が増える方向にあると言えるでしょう。(^^;)

しかしながら宮崎駿監督が強調符を用いあえて憎まれ役となりて発した警句に思いを馳せ、また福岡正信氏のインターネットという言葉さえ存在しなかった27年前に発した「借り物あるいは購入した喜びでなく、内にある本源の歓びを見いだしなさい」と教える箴言を、私たちは真摯に受け止めそして読み解き、情報化社会を先駆し疾走していると得意がっているうちに、いつのまにか内なる自己が空っぽになっていた…。な~~~んて事にならないように注意しましょうね。

そう、両氏が指摘する  “ただの消費者”  ではなく  “生産する者”  の側に立てるように頑張りましょう。(^o^)

 

「偉そうなこと言って、お前は宮崎駿監督の見解についてどのような意見を持っているんだ」ですって。?
もちろん、その答えは「もうジブリ見るのやめるしかない」ですよ。(笑)